「頭がいい」ってなに?
「頭がいい」って褒め言葉としてよく使われるけど、その意味はすごく曖昧で、言う側も言われる側も具体的な意味を持たせずに使ってると思う。私も詳しいわけではないから、なんとなく「すげーじゃん」って時に使ってる。
とはいえ、言語化しておかないと困るときが来そうなので簡単に整理しておこうと思う。
頭の良さを表現する3つの力
頭の力は、一般的に「考える力」「瞬発力」「物知り力」であらわされる。(参考)
物知り力はわかりやすくて、どれだけ多くの知識を持ってるか。瞬発力は「頭の回転が早いね」と同義で、レスポンスタイムみたいなものだ。考える力が最も厄介そうで、ものごとを立体的に捉える力だと解釈している。
考える力
いきなり厄介な「考える力」に触れてみる。 ものごとの抽象度を理解して座標を見極める力、フレームワークや賢者の教えに当てはめるような横に展開する力、ひとつの物事の抽象度を変化させるような縦に移動する力、みたいな力がここには含まれる。
「スプリントタスクが終わらない」という課題があった時、終わらない原因を探ったり終わらない場合に影響を受ける範囲を特定することが縦に移動する力だと思う。
スプリントタスクが終わらなかった他の事例を探して共通点を探したり、全く別の分野の原因特定フレームワーク(そんなものがあるかは知らない)に当てはめて考えることが横に展開する力。
そして、「スプリントタスクが終わらない」という話が開発組織で取り組むアジャイル開発で発生している課題だと認識するのが座標を見極める力、って感じ。
瞬発力
結果だけ見ると「物知り力」と同じくらいわかりやすいが、「考える力」や「物知り力」の程度によってこの力は大きく左右されると思う。 「麻雀できる?」に対する回答で悩む人はいないように、何か物事を考えたり自分の持ってる知識を試されるような質問でなければ、誰だって瞬発力を発揮できる。
「スプリントタスクを納期までに終わらせるには?」みたいな抽象度高めの問いを投げた時、その話の要点や不明点を整理して質問を返しながら深掘り、自分なりの解釈や回答を言語化して伝える必要がある。
瞬発力のキモは「言語化能力」にあると思ってて言語化能力が高ければ瞬発力もいずれ追いついてくると思う。 たくさん喋るようなポジションの人が喋りが上手くなるのは、度重なる言語化経験の副産物だと思ってる。たくさん喋ろう。
物知り力
これは勉強に違いない。あの日苦しんだ勉強そのものだ。物知り力によって、「考える力」と「瞬発力」に深みが出る。全ての基礎といっても過言ではない。
インターネットが高度に発達した現代においても、常に検索してものごとを考えられるわけではない。刻一刻と現場や組織の課題が変化する中で、いちいち調べてる時間などない。 特にバーバルなコミュニケーションにおいては、顕著だ。
覚えようと焦る必要はないが、日々いろんな情報に触れて、頭の片隅の引き出しにぼんやりしまっておくとよい。いつかその引き出しが開けられる。
どのように養われるのか
ここまで書いて感じたのは、「物知り力」でも触れた通り、勉強なのかもしれない。
よく「理系」と「文系」みたいな表現を目にすることから、理系の「数学」に焦点を当ててみる。 数学の問題文を理解することはまさに座標を見極める力で、この問題文では何が前提として与えられているのか、その上で何を求めるべきなのかが問われる。 そして、知識をベースに公式に当てはめて解答する。そのような物知り力や横に展開する力も求められるようだ。
文系であれば、抽象度を操るような機会が多い。現代文や古文は長ったらしい文章を読んだ上で、要点をまとめる問題があると思う。これは縦に移動する力であり、いくつかある具体的な話から抽象的な共通項を引っ張り出す。
こうして考えると、勉強という行為の中に力を養うさまざまな機会が散りばめられていて、勉強をすることに意味があるように思えてくる。いつか息子が「なんで勉強しなきゃいけないの?」と聞いてきた時の解として温めておきたい。
厄介な「瞬発力」
勉強を通して得られない力が瞬発力だと思う。記述式の試験になった途端に難しくなるのは、この瞬発力の中で試される言語化能力に起因していると思う。
実体験でしか語れないが、少しずつ言語化能力が養われていると感じたのは、仕事を通じてたくさん話す機会があった時だ。たくさん話しているうちに、口が動きを覚え、「こういうときは、こう考える」といったよく通る道みたいなものがシナプスに刻まれた。
こればかりは独りで養うのはなかなか難しい。いろんな人と話して、いろんな考え方に触れて、あまり使わない脳の領域を使い、言葉にしてみる。その繰り返しの中で得られる力なんじゃないかと思う。もちろん効率の良い養い方はありそうだけど。
おしまい
言語化してみてアレですが「頭いい」と言われて嫌な気持ちになる人はいないので、これからも安直に「頭いいね」と言います。